2 下関教会について
  2-1 下関教会紹介  
下関教会は、山口県下関市にある改革派長老主義の教会であり、1955年より伝道を開始しました。
- 地域に根ざした教会
下関教会は地域に根ざした教会として、クリスマス、イースターの他に年2回、 特別伝道礼拝を守っています。
- 日本の教会の、過去の罪責を忘れない教会
日本キリスト教会(「2-4 日本キリスト教会について」 参照)は、 戦時中神社参拝したという罪責を踏まえ、靖国問題を自分達の課題としています。
  2-2 牧師から  
私(名古屋義弘)は1937年、7月10日に下関で生まれました。
2003年3月、日本キリスト教会神学校を卒業して、2006年4月に牧師として下関教会に招かれました。
私はサラリーマンとして働いていた24才の時に、友人と共にキリスト教会の礼拝に初めて出席し、
25才のクリスマスに洗礼を受けキリスト者となりました。以来、今日に至るまで、日本キリスト教会の
教会員として教会の交わりの中にあり続ける恵みを与えられています。聖書に「主イエスを信じなさい。
そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます。」と書いている通りでした。
私も私の家族(妻、3人の子供達)も共に主イエスキリストの恵みのうちに神に覚えられ、
神を知る人生を与えられ、神と人とに仕える人生を歩んでいます。
  2-3 下関教会歴史  
第2次世界大戦後、日本キリスト教会が日本キリスト教団より分離独立しました。
この頃、私達の教会も日本キリスト教団下関彦島教会より離脱し、1955年11月27日、
皆川教師と有志が会員藤田正道宅で礼拝を開始しました。その1ヵ月後に日本キリスト教会
九州中会に加入し、同年12月18日、日本キリスト教会下関伝道教会建設式を行いました。
その後、牧師が交代し、7人目の牧師の時代の1996年4月28日、教会建設式を行いました。
下関教会の略歴は次の通りです。
1955年11月27日 | 会員藤田正道宅で第1回礼拝が守られた。 |
12月 | 日本キリスト教会九州中会に加入した。 |
12月18日 | 日本キリスト教会下関伝道教会建設式を行った。 |
1959年 4月 | 中島道生教師が着任した。 |
1965年12月12日 | 現在の土地に会堂を建築し、献堂式を行った。 |
1968年 4月 | 鈴木攻平教師が着任した。 |
1975年 4月 | 権藤国光教師が着任した。 |
1983年 4月 | 上山修平教師が着任した。 |
1992年 4月 | 中野隆教師が着任した。 |
1994年12月 | 天羽京子教師が着任した。 |
1996年 4月28日 | 教会建設式を行った。 |
2006年 4月 | 下関教会出身の名古屋義弘教師が着任した。 |
  2-4 日本キリスト教会について  
日本キリスト教会は、プロテスタントに属する教派の教会の集団であり、
信仰的には改革派の、制度的には長老派の教会集団です。
江戸時代末期、アメリカより伝道のためヘボン、ブラウンらが来日し、その後、
宣教師のバラが来日しました。
1872年、バラ、及びバラにより受洗した日本人により、初めて日本人のためのプロテスタントの教会が
横浜に設立されました(横浜公会:現在の横浜海岸教会)。信仰的には改革派、制度的には長老派の教会で、
後に信仰告白文を作り、教派によらず日本でただ1つの教会集団を目指し、その後、この「公会」が、
東京、神戸、大阪にも設立されました。これらの「公会」は、日本基督公会と言われました。
しかし、その後に来日した宣教師により、各教派の教会が日本各地に建設されました。
1877年、アメリカの改革派、長老派、及びスコットランド一致派のミッションと、その関係する日本の
諸教会---その1つの集団が日本基督公会---が合同して日本基督一致教会を結成しました。
日本基督一致教会は、その後、教会憲法、規則を定め、1890年、名称を日本基督教会に改めました。
この時、日本人の手による初めての信仰告白である「日本基督教会信仰告白」を制定しました。
日本で最初に建設された日本人のためのプロテスタントの教会の理念と構想を受け継ぎ、
長老制度をとった教会集団です。
1931年の満州事変の後、日本は急速に植民地政策を推しすすめ、欧米の反発を招き、世界の中で孤立して
いきます。そこで日本は、1938年、国家総動員法を成立させ、1925年成立した治安維持法と共に戦時体制を
強固にしていきました。
1939年、宗教団体法が成立しました。国家総動員法と合わせて、国策に従わせるため、国家が管理
しやすいよう、 教団の成立を促していました。治安維持法によるキリスト教への圧力が続く中、
プロテスタントの各教派は合同への準備を進め、1941年、日本基督教団を結成しました。最初は
各教派の信条と伝統を維持するため、部制をとっていましたが、1943年からは部制が廃止されました。
敗戦後、旧日本基督教会系の教会は、共通する信仰の下で教会を形成することを願っていましたが、
日本基督教団はその道を閉ざしていたため、1951年、旧日本基督教会系の39の教会が日本基督教団より
独立し、日本基督教会を作り、1953年、第3回大会において信仰告白と憲法規則を制定しました。
その後、キリストの主権を掲げ、戦争中における教会の罪責を踏まえ、靖国問題を教会の課題とし、
また戦争中、韓国・朝鮮の教会に神社参拝を強要したことについて謝罪を表明しました。
1995年に名称を日本基督教会より日本キリスト教会に改め、今日に至っています。
日本基督教団結成前の日本基督教会を旧日基(旧日キ)、日本基督教団より独立後の日本基督教会を新日基
(新日キ)、と略す場合があります。
日本キリスト教会のホームページのアドレスは次の通りです。
http://www3.ocn.ne.jp/~nikkits/